\ナナメに切り取れ/

好きなことを書くよ。

救えるのは他人に救われる準備がある奴だけ

呪術廻戦で五条悟が言った台詞

 

「俺が救えるのは他人に救われる準備がある奴だけだ」

という台詞をまさにこれと感じる体験があった。

 

もっともこの体験がこの時の五条悟の心情や意図していたものと一緒かはわからないけど…。

 

私にはメンヘラ部下がいる。

彼女は同居してる父親から暴力を振るわれ続けてきたらしく

仕事中でもフラッシュバックを起こして急に泣き出す人だった。

 

これだけでも面倒そうだと感じると思う。

でも自分も似たような家庭環境だったので、まぁしょうがないと思って

見守っていた。

 

メンヘラの特徴なのだけど、

ちょっと親切にすると異常に距離を詰めてくる。

ちょっと親切にすると、=友達くらいの感じで。

 

もっと具体的なエピソードを挙げると

そんなに仲良くない相手のXのアカウントを陰でウォッチしていて、

「私と遊べないと言ったのに、他の人と遊んでる」とか言い出す女なのだ。

 

彼女がチェックしてる相手は、時々会うくらいの仲だ。

恐らく相手も知り合いくらいにしか認識してない。

なのに、ちょっと会話が弾むと、「あの人のことが好き」

「ちょっと仲良しになった」とか言い出す。

 

その相手が彼女の誘いにのらないで

他人と出かけていたことに対して彼女は「ひどい」と言う。

 

普通の人なら

  • まだそんなに親しくなかったのかも
  • 相手にとってはちょっと迷惑だったかも
  • 一緒に行った相手との付き合いもあるよね
  • もっと仲良くなってから誘おう

 

とか考えると思う。

そうじゃない。自分の誘いを断った相手が「悪い」になってしまう。

 

そう、メンヘラは相手に対する期待値が異常に高い。

他人の事情は一切無視で、考えようともせず

すぐ裏切られたと被害者妄想をしてくる。

 

この異常な距離感は、

ジョジョに出てくる山岸由香子のようなもの。

 

この話を聞いた時に私は

「うわぁぁぁめんどくせぇ女」

「そもそも相手からしたら別に仲良くなりたいと思われてないことに気づいてない」

「もし自分が逆の立場で、そんなに仲良くない人にしつこく誘われたら絶対断るくせに」と感じた。

 

話は戻るが、そんな彼女に、私は「親しい人間」だと誤解されてしまった。

 

テレワークが続くと私に会えないことを「寂しい」と言ったり

「友達がいないし、他に頼れる人がいないから引っ越しの作業を手伝ってほしい」とか。

 

いや、普通なのかもしれない。

しかし、私も認知が歪みまくっているので、

彼女の言葉から「友達になってくれ」というのをヒシヒシと感じてしまった。

なんとなく彼女が私の母親のように私に干渉して私をコントロールしてこようとしてるように感じた。

彼女の場合、そういうのを断るとまた泣き出したり

仕事に支障をきたしそうだから面倒だなと感じ

必要最低限以外会話をしないようにした。

 

案の定今度は「お前が悪い」というような攻撃的な言動をしてくるようになった。

「引っ越しの作業を誰にも頼れなかったので、作業が終わってない。今日は有休にします」と言われた。

私が冷たくしているから、今後は誰も頼れない

誰からも必要とされてないと言われた。

 

メンヘラのお家芸「可哀想でしょ私」が始まった。

何としても自分の方を向けたくて仕方ないようだ。

 

ここで無視すればよかったのだが、私は無意味な親切心を発揮してしまった。

 

結局何もかもが「他人のせいで不幸」という考え方をすると

自分の幸せは他人がいないと成り立たないという図式になってしまう。

相手によって自分の幸せが左右されてしまう。

これは依存的な状態だし、幸せは他人によると思っている以上

絶対幸せになんかなれない。

 

よく結婚した後に「相手がモラハラ野郎だった」

「ムカつく」「でも金がないから離婚できない」

「あいつのせいで自分の人生は」っていう人を見かける。

 

これも同じだ。

「あいつのせいで自分の人生は」と思っている以上

あいつが変わらないと自分の人生も変わらない

それだと、自分の人生はあいつによって幸せかどうか決められている

コントロールされている状態になってしまう。

 

私はこの考え方がめちゃくちゃ嫌いだ。

自分の人生を変えていく人たちは、

自分で「傷ついたり」「損をしたり」という代償を払っている。

 

その代償を払わないやつが、文句を言う資格はないと思っている。

上記の例なら、頑張って働いて自立すればいい。

そうしている人はたくさんいる。

生きていけないなら生活保護を取ればいい。

 

愚痴り続けても、不幸自慢をしても人生は変わらない。

その時間が無駄なのだ。

 

私自身も彼女と似たような家庭環境で

親のことを相当恨んだが

結局親は死ぬわけで、そんなものは無意味だと馬鹿らしくなった。

 

でも、人間は正論だけでは動かない。

彼女にそれを伝えたら、

「はいはい。私が悪いんですよね。

努力しろよってことですよね。」というような返答が返ってきた。

 

結局良かれと思っても

「自分が変わりたい」と思ってない人間は

何を言ってもネガティブにとらえて、

「前に進まなくていい理由」を探す。

 

そう。冒頭の話に戻るが「自分で変わろうとしない人間は私にも助けられないし

救えない」んだなと思った。

 

もちろん、機能不全家族のもとで育った人、虐待サバイバーは

他の人より遥かにハンデを背負って社会に出てくる。

身近な他人である親と関係を築けないことで、他人も信用できない。

友達も頼れる人もいない。

 

そういう人たちは、他人との距離感をわかってない。

だから相手に面倒だと思わせたり

利用できると思われたり

メンタルの弱さで勝手に傷つく。

 

本当は傷ついたり、嘆いたり、泣いたり、誰かに受け入れられる時間は絶対に必要だ。

わかりやすい例でいえば、童貞を捨てないと異性とまともに会話できないようなもの。

相手の言葉すべてが悪意ある状態で届くのは、

自分が家族・友人・恋人に受け入れられたことがないからだ。

 

そういう「受け入れられた」時間を経て、

自分で「ああこの時間は無駄だな」「変わりたいな」と思わなければ、

相手の正論など胸に入っては来ない。

 

普通はそういう体験を学生のうちに済ませるもので

友達ができれば変わるのだが

友達もできず、自分を曲げられず、人に好かれる努力ができず

ありのままの自分でないと嫌だと我を通したものだけが、

こういう仕上がりで社会に出てくるのだ。

 

今回私はしたのは、ただ正論という刃で相手を刺したにすぎなかった。

自分がしたことは無意味だった。

一瞬、同じ境遇だから話せばわかると思った自分がバカだった。

 

メンヘラと関わると不幸になるのは事実だ。

相手と心中する気がないのなら、触れない方がいい。

彼女たちは、助けてくれそうと思ったら異常な速度で距離を詰めてくる。

助けなければ、「お前が悪い」と罪悪感を植え付けて相手をコントロールしてくる。

そう、彼女たちがかつて親にされたことを、他人にしてくる。

そういう風にしか他人と関わることを知らないから。

 

彼女たちは「愛されること」「受け入れられること」で必死だ。

他人から受け入れられない自分という事実は世界が終わることを意味する。

自我を保つために、相手が悪いことにする。

一見優しそうに見えても、自分の事情しか考えてない。

相手の事情は見ずに責め立てる。

 

私も同じような家庭環境だったから、当時の自分は必死だったなと思う。

自分が思う自分が崩れてしまわないように、なりふり構わなかった。

昔の自分を見ているようで、「助けたい」と思ったのが間違いだった。

 

カウンセラーは何年も同じクライアントと接して

認知の歪みを矯正していく。

国家資格を持つカウンセラーでさえ、時間をかけて慎重にクライアントと付き合っていく。

素人の私が一夜で他人を変えられると思ったのは思い上がりだった。

 

どんな会社にも一人くらいはメンヘラがいるかもしれない。

でも、学校では、「自分の部下がメンヘラだったらどう接するか」なんて教えてくれない。

未だにどう接するべきなのか悩んでいる。

まともに接したら今度はこっちが壊されるだろう。

 

メンヘラはこうしてまた他人との溝を作って、嫌厭されていく。